大楠公の歌


自從源平之戰後   天下之事定於鐮倉 承久之役後公家更是大權旁落  北條氏執天下牛耳久矣自十四代執權北條高時開始   北條氏多行稗政 天下人心墮之  望治若渴 此時後醍醐天皇銳意革新 希復舊權 陰圖北條氏 事機不密 北條氏欲圖帝 帝遷座笠置山號召天下有志之士勤王  然眾人欇於北條氏淫威 少人呼應 帝甚憂之  一夜帝夢一使者告之天下無帝容身之處 惟大樹之南 或可安身帝寤 異之 聞河內豪族名楠木氏 甚喜召之 即楠木正成   正成面聖之後即在河內金剛山舉兵   未幾笠置山陷落 楠木孤立無援  脫城而去 之後  後醍醐天皇遭遷隱岐 北條氏立新帝光嚴天皇  未幾後醍醐天皇脫出隱岐 舉兵於船上山   正成悉之再舉兵於金剛山 幕府圍之以百萬之師 然正成以千人據險 百萬之師 師老無功未幾 身居幕府要職之源家統領足利高氏 投靠官軍攻打幕府 新田義貞舉兵 未滿月而功破鐮倉   北條氏舉族自害 天下大權重歸後醍醐天皇之手 楠木隻身倡義以區區千人無懼百萬之師 當居首功無愧  然而醍醐天皇新政令人失望三年之後足利尊氏在眾武家擁戴下舉起反旗  期間勝敗互見 然天下之勢漸傾尊氏 天皇令楠木出陣 楠木請與足利談和 否則遷之都外以誘尊氏入京再滅之皆不納  正成攜子正行同行至櫻井驛 正行欲同赴戰場 正成叱之知此行無再歸之理 託再興皇室之責於正行 未幾 正成戰歿於湊川

青葉茂れる桜井の
  里のわたりの夕まぐれ
  木この下陰したかげに駒とめて
  世の行く末をつくづくと
  忍しのぶ鎧よろいの袖のえに
  散るは涙かはた露か

二 正成まさしげ涙を打ち払い
  我子正行わがこまさつら呼び寄せて
  父は兵庫におもむかん
  かなたの浦にて討ち死にせん
  いましはここまできつれども
  とくとく帰れ ふるさとへ

三 父上いかにのたもうも
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  この正行まさつらは年こそは
  いまだ若けれもろともに
  おんとも仕かえん死での旅

四 このひとふりはいにし年
  君のたまいし物なるぞ
  この世の別れの形見にと
  いましにこれを贈りてん
  行けよ正行まさつらふるさとへ
  老いたる母の待ぢまさん

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